幼少の頃の虚弱体質

子供の頃、私はいわゆる「虚弱体質」でした。

小学生のときは、授業中に気分が悪くなることが多々ありました。
でも、自分のことで授業が中断されると、みんなの注目を一身に浴びることになってしまいます。
それが嫌で、いつも我慢をしていました。

けれども、さらに気分が悪くなり、机に突っ伏し、ついには吐いてしまうことも度々ありました。

隣の席の子がそれに気づき、先生に報告、結局は授業が中断され、友人に同伴されながら保険室に向かうということが度々ありました。

教室に戻ると、先生や級友は「大丈夫?」と気遣ってくれましたが、その頃の私は、こうした言葉を掛けられることが嫌で仕方がありませんでした。

「どうして自分だけ普通に生活を送ることができないのだろう?」
このように考えることも度々ありました。

この頃から私は、自然と「健康」というものを意識するようになりました。

陸上部での捻挫経験

幼少の頃の虚弱体質は、思春期を向かえる頃には、自然と改善されました。

他の友人と同じような生活を送ることができるようになった私は、高校では陸上部に入部、短距離選手として毎日練習に励んでいました。

そんなある日、いつものように全力でダッシュをしていた際、勢いがあまって股関節を傷めてしまったのです。

その日はそのまま帰宅、翌日に整形外科にいきました。

はじめての整形外科だったので、不安と緊張を抱えながら診察室の前で自分の番を待っていました。

長い間、順番待ちをしていましたが、診察が始まると、問診は2分足らずで終了、流れ作業のようにレントゲン検査へと回されました。
そして「捻挫」と診断、「しばらく安静にするように」と言われ、飲み薬を処方されて診察は終了しました。

医師の忠告を受け、私の母は「1週間」部活動を休むように言いました。
ですが、当時陸上に心血を注いでいた私は、練習を休んでいる間に筋肉や走る感覚が鈍るのが嫌で、捻挫をしてから4日後、無理やり練習を再開しました。

今思えば、整形外科での診察工程に納得がいかなかったため、医師の助言に素直に耳を傾けることができなかったのでしょう。
その結果、捻挫が悪化、練習の中断を余儀なくさせられてしまったのです。

そんなとき、遠方で整骨院を経営していた私の叔父が、たまたま私の実家の近くまで来る用事ができ、そのついでに私の状態を見てくれることとなったのです。

翌日、私の部屋まで来てくれた叔父は、私の足に対し、見立てを行い「大丈夫だよ」といって、手技治療を施してくれました。

元々手先が器用な方だった私は、施術をしてくれている叔父の手元を見ながら、自然と「治療家」という仕事に就いている自分を想像していました。

そのときに施された手技療法は、患部に軽く触れながら揺らすといったものでした。
揉んだり圧をかけたりといったものを想定していた私は治療後、拍子抜けしながらも、患部を触ってみると痛みがひいているという不思議な経験をしたのを覚えています。

そうした感覚に浸っていた私に、叔父は

そして、治療後に「2~3日安静にして、腫れが引いたら走ってもいいよ」と言葉をかけてくれました。

それから2日間で腫れがひき、3日目には練習に復帰することができました。

このときの経験をきっかけに、私は将来の職業として「治療家」を意識するようになりました。

振動療法との出会い

高校を卒業した私は、将来の職業として治療家を目指すことを決意し、柔道整復師の資格を取ることができる専門学校に進学しました。

専門学校2年目となり、具体的な就職先を探す時期になりましたが、その頃の私にはまだ、どのような方針・手法の治療を施す治療家になりたいかという具体的なビジョンがありませんでした。

そして、そのままとある治療院経営のグループ会社に就職をしました。
就職2年目、研修を終え、店舗で手技療法を担当していた私はあるとき、先輩治療家の「会社の試験をパスした治療家だけが担当できる専門療法」を受けることになりました。
その専門療法こそ、現在、当院で提供させていただいている振動療法でした。

わずか10分の治療でしたが、普段同僚同士で行なう手技マッサージでは抜けなかった肩の筋肉の違和感がなくなった感覚がありました。

このできごとが、私がこの治療法に興味を持つきっかけとなりました。
しかし、この治療法の研修を受講人数には制限があり、一定の勤続年数以上のスタッフしか、この治療法の研修を受けることが許されませんでした。

その後、会社に自分自身の熱意を伝え続けましたが、結局、研修受講の許可が降りることはありませんでした。
そこで私は、会社の許可を得た上で、この治療技術を提供してくださっている運営部に直接コンタクトを取ることにしました。

として働いていた私に、会社から「さらに専門的な治療技術」を習得するよう指示がありました。
その指示に従い、同僚と訪れた研修先で最初に課せられた課題が「治療を実際に受けること」でした。

緊張しながらも、思い切って事務局へ電話をしてみました。
すると、電話口に出られたのが、その治療流派の会長ご本人でした。
そして幸運にも、その大先生から直接治療を施していただくことになったのです!

治療当日、私は「治療を受けながら、学べることはしっかり学んでこよう!」という意気込みで望みました。
ですが、いざ治療が始まると、大先生の治療を直接受けることへの緊張が大きく、治療内容を学習する余裕を持つことができませんでした。

この治療は、当院の振動療法同様、脊柱周辺の深層筋にバイブをあて、そのコリ(筋硬結)を解すといった内容のものでした。

しかし、体の変化は顕著でした。

まず、翌日から強い眠気とだるさを覚えるようになりました。
先生からは、予め「好転反応が出ると思うよ」と言われていたので、いざ慌てることはありませんでした。
ですが、仕事中も気だるさが抜けず、日中の眠気と戦う日々が6日続きました。

そして、7日の朝に「大きな変化」がありました。

前日までは、目覚ましをかけてもすぐに起きることができなかったにも関わらず、その日は目覚ましがなる前に目が覚めました。

しかも、昨日までのだるさがまるで嘘のように、スッキリと目を覚ますことができたのです。

起床してからは、さらに驚くことがありました。

それまでの自分の体への感覚・認識が変わるほど、体が軽く感じられたのです。

頭の働きもクリアになり、文字通り「生まれ変わったかのような」経験をすることとなりました。

冒頭で、私の虚弱体質は思春期の頃に改善したと申し上げました。
ですが「実は、本当の意味で健康体を得られた訳ではなかった」という事実に、このとき初めて気がつきました。

そして、この瞬間に「自分が人生を掛けるべきものはコレだ!」と確信を得ることができたのです。

30歳までに開業を実現!

それから7年間、一心不乱にこの治療法に従事してまいりました。

元々、1つのことに熱中するタイプだった私は、とにかくこの治療法をマスターすることにのみ注力しました。

おかげさまで、多くのお客様からご支持をいただくことができ、結果、入社5年目で全社(全8営業所、治療スタッフ約40人)で月間営業売上No.1を通算10回(うち、6回連続)獲得することができました!

ですが、それでも現状の治療スキルに満足することができず、会社の研修内容だけでは足りないと感じ、自腹で先生の元に通い、マンツーマンの講習を受け続けました。

また、ローンを組んで治療用バイブを購入、多くの患者様の協力をいただきながら、20代の間、ひたすらスキルをブラッシュアップしてまいりました。

そして、かねてより目標だった30歳前での開業を実現することができました!

治療への熱意は誰にも負けません!

幸運にも、念願だった開業を実現することができ、今現在、自分がやりたい仕事に従事できている私は幸せ者だと思います。

この幸せをもたらしてくださったのは、間違いなく私を支持してくださっている患者様です。

人の幸せを土台部で支えてくれているものは、「健康な身体」なのではないか。
と私は考えています。

これは、冒頭でお伝えした、幼少期に虚弱体質を経験してきた私の人生観です。

もちろん、病気を患いながら「幸せ」を実感できている方もいらっしゃることと思います。
しかし、それは精神力が非常に強い人のみが至ることができる境地なのではないでしょうか?

世の中のほとんどの方の幸せは「健康」という基盤の上に成立しているものである。
治療家として様々な患者様とお会いする中で、私はこの事実に対し、さらに確信を持つことができるようになりました。

これまで自分の治療技術を磨くことだけにひたすら注力してきた私ができることは、これからも「治療」のみです。
だからこそ、「治療への熱意」だけは誰にも負けたくない!という想いでおります。

まだまだ若輩者の私ですが、だからこそ、これからさらに治療スキルを磨くことができるはずです!

これから、もっともっと腕を磨いて、日本一の治療家になりたい!と本気で思っております。

そして、
その治療スキルを余すことなく「これまでお世話になった患者様」そして「これから出会う患者様」へ還元させていただきたい。

このように考えております。

そして、私の社会人としての存在意義は、この「治療」だと考えております。

これからも、自分自身のアイデンティティをかけ、全力で患者様の皆様の健康、ひいては幸せのために尽力していきたいと考えております。